Beethoven

家族と幼年期〜祖父と父〜



として生まれた。

20歳の頃、ボンに居城を持つケルン

選帝侯の宮廷楽団にバス歌手として

召し抱えられたこの祖父は、1761年に

選帝侯が代替わりしたとき、宮廷楽長に

昇進する。





だが、家庭はちょっと悲劇だった。

3人の子のうち、成人したのは第3子

ヨーハンのみ。しかも妻は、副業に

営んだワイン商が仇となってか、

アルコール依存症に陥る。やむなく、

妻を修道院の施設に送った彼は、唯一

生き残った息子ヨーハンに期待をかけ、

幼少から音楽教育を施す。

その甲斐あって、

ヨーハンもテノール歌手として

選帝侯に召し抱えられるまでとなった。





1767年、

27歳のヨーハンは21歳の若い未亡人

マリア・マグダレーナ・ケフェリヒと

結婚した。彼らの長男は夭折したが、

翌1770年12月16日、

次男が生まれてきた。

祖父と同じくルートヴィヒと

名づけられたこの次男こそ、

作曲家ベートーヴェンである。





祖父が長生きしたら同名の孫の活躍に

目を細めたであろうが

3歳のとき没する。

祖父の死は社会的にも経済的にも

一家にとって大きな打撃で、

父親の後任として宮廷楽長に

任命されるものと思い込んでいた

ヨーハンは、

あてがはずれると怒り不満を

募らせて酒に慰めを見出すようになる。





その一方、わが子の楽才に気づくや、

異様な執念を傾けて息子に音楽を

叩き込んだ。

彼のレッスンは思いつきと強引さに

満ちたもので、暴力は日常茶飯事。

酔っ払って帰宅した深夜に寝入っていた

息子を叩き起こし、

朝までクラヴィーアに向かわせることも

一再ではなかった。





その頃のこと、ヨーハンは

息子の年齢を2歳ほど幼く偽って

神童演奏会を開くが、

これは成功しなかった。

むしろ、この時期に年齢を

偽られたことで、ベートーヴェン自身、

長らく自分の誕生年を誤認し、

後年、洗礼証明書を取り寄せて

初めて1770年生まれと知ったという、

思わぬ副産物をもたらしている。





ベートーヴェンの生涯〜
苦悩を突き抜けて 歓喜に至れ!

文 萩谷 由喜子 ◎音楽評論家
text by Yukiko Hagiya



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