穏やかに🍂


個々のものを普遍的な貴い調和に呼び入れて、
霊妙な諧音を奏させるのは誰ですか。
誰が吹きすさむ暴風雨を情熱のあらしと化し、
夕映の光に厳かなる念を託するのです。誰が恋びとのゆく道に、
あらゆる美しい春の花を撒くのです。
見ばえもせぬ緑の葉を編んで、
各種の勲しに対する名誉の冠となすのは誰ですか。
オリュンポスを安泰にして神々を集えるのは誰ですか。
それは詩人において現れる人間の力ではないですか。

ファウスト 第一部 舞台の前曲 詩人

おはようございます。

6月になりました🌂

お気に入りの本を読んで📚

穏やかな気持ちは様々な思考を生み出し

てくれるのではないか?

と思いました💡

今日は少し冷たい風が吹いています🍃

毎日の変化を当たり前と思わず💪

楽しみたいですね✌️

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ベートーヴェンの演奏の正統性とは?

正統と異端のせめぎ合いを

繰り返す西洋






この「正統性」という語は実に

やっかいである。

正統の反対語は異端であるが、

西洋の歴史においては、

宗教界だけではなく無数の局面で

つねに正統と異端のせめぎ合いが

繰り返され、覇者は「正統」という

大義を標榜し、

つねに政治と表裏一体であった。





ベートーヴェンという人物の

イメージと、

ドイツ的なものという概念、

「正統」という理念は19世紀以来、

今日までのドイツ史において

特別な意味を有してきた。

19世紀後半のドイツで繰り広げられた

ブラームス・ハンスリック派と

ワーグナー派との大論争で

課題となったのは、

ドイツ音楽は本来どのように

あるべきかという命題であった。





そして、彼らが共通に

その後ろ盾としたのはベートーヴェン

であった。

指揮者の



礼賛した歌は、ベートーヴェン

交響曲第3番「英雄」の主題を用いて、

それにドイツ国家主義を賛美した

歌詞を付けた替え歌で、

まさにドイツの政治が背景に

なっていた。





文 西原 稔 ◎桐朋学園大教授
text by Minoru Nishihara



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AGE


終末糖化産物
Advanced  Glycation  End  Products
(A.G.E.s)

糖(カルボニル基)とタンパク(アミノ基)
が結びつき、時間が経過すると、
できる
→メイラード反応(アミノカルボニル反応)

体内で起こる糖化は

酸化以上に危険。

とされる老化促進要因。


糖化と病気

皮膚老化
皮膚コラーゲンの硬化代謝異常

コラーゲンの架橋
大動脈、腎臓などの機能不全

骨関節症  骨粗鬆症
骨芽細胞・破骨細胞の活性異常
骨の脆弱化
骨量減少

老人斑促進
(アミロイドβタンパク質の凝集)
神経原線維化促進
酸化ストレスの増加など

動脈硬化
粥状化の進展

糖尿病合併症
神経障害
骨症

糖化=老化

糖化を防ぐ
・運動は糖化を防ぐ
・食生活を見直す
    ・AGEを含まない食品を選択
     ・肉や脂の多い食事をさける
       (ケトン体からAGEができる)
      ・低GI食品を選択しよう
     ・ベジファーストで食べよう
     ・ゆっくり、食べよう
     ・家族で、ストレスなく、食事
         しよう
      ・生活習慣を見直そう
         (喫煙、飲酒、睡眠)
      ・ある種のファイトニュートリエン
          トは糖化を抑える


私のAGEは30でした😿

これは30歳ということです💦

生活習慣見直そうと思いました汗

AGE値は155で、ギリギリ

AUTゾーンには入っていません

でした😰

帰り道のお花達です💐

赤いお花が沢山咲いている木は、

ざくろの木だそうです🌺

他にも薔薇の木を見たりしました🌹

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Beethoven

家族と幼年期〜祖父と父〜



として生まれた。

20歳の頃、ボンに居城を持つケルン

選帝侯の宮廷楽団にバス歌手として

召し抱えられたこの祖父は、1761年に

選帝侯が代替わりしたとき、宮廷楽長に

昇進する。





だが、家庭はちょっと悲劇だった。

3人の子のうち、成人したのは第3子

ヨーハンのみ。しかも妻は、副業に

営んだワイン商が仇となってか、

アルコール依存症に陥る。やむなく、

妻を修道院の施設に送った彼は、唯一

生き残った息子ヨーハンに期待をかけ、

幼少から音楽教育を施す。

その甲斐あって、

ヨーハンもテノール歌手として

選帝侯に召し抱えられるまでとなった。





1767年、

27歳のヨーハンは21歳の若い未亡人

マリア・マグダレーナ・ケフェリヒと

結婚した。彼らの長男は夭折したが、

翌1770年12月16日、

次男が生まれてきた。

祖父と同じくルートヴィヒと

名づけられたこの次男こそ、

作曲家ベートーヴェンである。





祖父が長生きしたら同名の孫の活躍に

目を細めたであろうが

3歳のとき没する。

祖父の死は社会的にも経済的にも

一家にとって大きな打撃で、

父親の後任として宮廷楽長に

任命されるものと思い込んでいた

ヨーハンは、

あてがはずれると怒り不満を

募らせて酒に慰めを見出すようになる。





その一方、わが子の楽才に気づくや、

異様な執念を傾けて息子に音楽を

叩き込んだ。

彼のレッスンは思いつきと強引さに

満ちたもので、暴力は日常茶飯事。

酔っ払って帰宅した深夜に寝入っていた

息子を叩き起こし、

朝までクラヴィーアに向かわせることも

一再ではなかった。





その頃のこと、ヨーハンは

息子の年齢を2歳ほど幼く偽って

神童演奏会を開くが、

これは成功しなかった。

むしろ、この時期に年齢を

偽られたことで、ベートーヴェン自身、

長らく自分の誕生年を誤認し、

後年、洗礼証明書を取り寄せて

初めて1770年生まれと知ったという、

思わぬ副産物をもたらしている。





ベートーヴェンの生涯〜
苦悩を突き抜けて 歓喜に至れ!

文 萩谷 由喜子 ◎音楽評論家
text by Yukiko Hagiya



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